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2019年 05月 21日

【海を見てきた】

「平成→令和」の10連休中のことです。

人並みにどこかに出かけたい、という衝動に駆られ、かつちょっとした「理由」もあって、どうしても「海」というのが見たくなりました。

ご存知の方はご存じでしょうが、僕は大人になるまでに「海」を見た回数を数えられるほど、「海」というものとはとことん縁のない人間です。
海から遠く離れた盆地で育ち、小中高、と修学旅行は山ばっかりだったし、家族旅行、なんて洒落たものに行った記憶もほとんどなく、町内会なんかの旅行でも、温泉とか遊園地とか、そんなところの思い出ばっかりです。
ごくわずか、小学生の遠足で鳥羽の水族館に行ったのと、高校の頃遠縁の宮崎の日向海岸に行ったくらいがまとまった「海体験」のすべてです。

そんな僕ですから、「海」といってもどこに見に行けばいいのかわからず、だからって東京湾じゃあ工場やタワーマンション見に行くようなもんだし、ええい、いっそ沖縄へでも、と思ったんですが、世間は連休真っ只中ですから、予約も無しに混み混みで行くのもどうかな?(カネもかかるし)と思い、けっきょく家でボーっとしていたら、ある本で東海道線は熱海までの区間でけっこう海沿いを走ってる、という件りを見つけたので、地図で見るとなるほど、ある区間なんか海岸と並行して走ってるようで、これなら、とりあえず行って適当な駅で降りて海岸に行けばいいや、と思い、さっそく最寄駅からJRに乗り込んだのでした。

今回はあくまでも「海を見に行く」というのが主たる目的なので、美味しいグルメとか、地元のお土産とか、話題の観光スポットなんかにゃ目もくれず、とにかく「海を見てくる」、というミッションに集中することにしました。

あと、よほど気に入ったら泊りがけでもいいけど、なるべくリーズナブルに、「日帰り」を基本にすることにしました。
長くいるとついつい余計なことに気が向いちゃうし、予算もオーバーしちゃうので。

で、「JR 京浜東北線 国府津行 普通」というのに飛び乗り、あとはどうなときゃあなろたい、ということで、持参のスキットル(別に休日だから、いいんだもーん!)と文庫本を持ってぶらり旅に出かけます。

品川を過ぎ、川崎を過ぎ、横浜が近づくと、車窓の景色は工場地帯、住宅地、商業地、歓楽街、と、思った方向とは全然真逆の、大都会の風景ばっかりで、アーアこれじゃあ、何しに来たのやら、と思っていると、石川町から根岸を過ぎたあたりから徐々に海が見え始め、大船を過ぎると路線は東海道本線と名が変わり、藤沢、辻堂、茅ケ崎、と来るころには、だんだんと海辺の街らしい風景が広がりはじめます。

相模川を渡り、平塚、二宮とすぎて国府津で乗り換え、さらに行くと小田原。
さあ、ここから更に行くと、静岡県に行ってしまうなぁ、そうなったら泊まりだし、だいいち温泉旅行になっちゃうなぁ、と思い、引き返して大磯で降りることにしました。
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大磯

初めて降りる駅です。

「大磯ロングビーチ」って名前くらいしか知識がなく、「ビーチ」っていうくらいだから浜辺があるんだろう、くらいのことで選んだ土地です。
降りてみると、駅前のロータリーもこじんまりとしてるし、とにかくお店があんまりなくて、そう広くもない駅前がガラーン、とした雰囲気です。
ま、海水浴場のシーズンオフは、こんな感じでしょう。
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ただ、海に降りてゆく道にはデカい「歓迎アーチ」があるし、道々には時代の付いた豪邸が並んでいたりして、なんとなく歴史のある街なんだな、と感じました。
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海までは500mほどなのですが、道が曲がりくねっていて、結構時間がかかります。
20分ほどもかかって、やっと海岸に到着。
こんな看板が
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ほー、ここは海水浴の発祥地だったのか。
しかも、ここを開いた「松本順」という名前には、憶えがあります。(マツジュン、ではない)
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松本順(1832-1907)は、幕末、明治初期の医師。元は「良順」と名乗った。

今の順天堂大学の前身、「佐倉順天堂」という医学塾(当時、西の緒方洪庵の「適塾」と並び称された)を起こした幕末の蘭方医、佐藤泰然(1804-1872)の子で、長崎に留学し、オランダ人医師ポンぺ(1829-1908)の右腕として治療や医学書の翻訳に取り組んだ。

後、江戸にもどり、幕府奥医師(将軍の主治医)となり、幕末には幕府軍と共に仙台まで転戦し、将兵の治療に当たった。
このとき、新選組の近藤勇や土方歳三の治療も行い、両者の信任を得る。
近藤が下総流山で新政府軍に投降、斬首の刑に処せられ、土方が函館で戦死した後、明治になって二人の供養塔を建立している。

面白いのは、明治新政府にもその手腕を評価され、初代帝国陸軍軍医総監(医師のトップ)になっているところ。
結構柔軟な政治センスのヒトだったんですね。

実弟は、日英同盟(1902)を締結したことで有名な外務大臣・(ただす)。彼は日本人最初のフリーメーソン会員といわれます。
姪の「たつ」は、幕府海軍総裁・榎本武揚(1936-1908)の妻。
幕府・新政府ともに彼を頼りとしていたわけです。
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退官後は大磯を別荘地として開発し、海水浴や牛乳を飲むことが健康に良いことを広めた。

大磯にて没す。


というような人物です。

そういう目で見ると、この海岸も、何か歴史の深みを感じます。
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読み通り、オフシーズンの海岸は、人気も少なく、たまにサーフィンしてる人や、犬を連れて散歩する人がいるくらいで、ほぼ貸切りの風景でした。
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ふーん。これが「日本最初の海水浴場」かぁ。

ここには防波堤で囲まれた、小さな漁港もあって、そのあたりだけは釣り人たちがおおぜいで糸を垂れています。
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すぐそばに芝生の広場があって、子供たちや犬が元気に駆け回ったりしています。
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うーん、「ザ・連休」って感じだな。
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大磯漁港を挟んで向こう側には「照ヶ崎海岸」が続いています。
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ここは砂地ではなく、小石や砂利の海岸で、「アオバト」という鳩が、ここの海水を飲みに来るのが有名(?)と案内板には書いてありますが、うーん、よくわからん。見られなかったし。
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この海岸沿いには、吉田茂元総理大臣の旧別邸などもあり、更にはこの周辺に何と、歴代8人の総理大臣の別邸があった(伊藤博文・山県有朋・大隈重信・西園寺公望・寺内正毅・原敬・加藤高明・吉田)ほか、
前述の林董、西周(外交官)、陸奥宗光、後藤象二郎、古河市兵衛(財閥)、大倉喜八郎(財閥)、安田善次郎(財閥)、岩崎弥之助(三菱)、三井高棟(三井)、住友寛一 (住友)、ジョサイア・コンドル(建築家)、尾上菊五郎(歌舞伎)、中村吉右衛門 (初代)、井上準之助(大蔵大臣)、島崎藤村、などなど、
僕が知ってる名前だけでも出るわ出るわ、何とこの小さな街に200件近くの別邸がひしめいていた時期があったそうです。
「別邸銀座」状態。
あんまり混み合い過ぎて煩わしくなったか、後に引っ越していった人もいたようです。

戦後、それらは、あるものは占領軍に没収され、あるものは没落して売却、または放置され、現在観光地化されている数軒を残すのみとなっているようです。

その中でも、極め付きの「別邸」が、現在も駅前に堂々と残っています。
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「エリザベスサンダースホーム」

これは、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘、沢田美喜(1901-1980)が、もと岩崎家別邸であった建物を、戦後の混乱期に財産税として物納されていたものを私財を投げ打ち、足りない分は募金を集めて買い戻し、占領軍の兵士と日本人との間に生まれ、遺棄された孤児たち(いわゆる「G.Ⅰベビー」)たちを収容する養護施設としたものです。

当時はそういう子供たちに対する偏見が強く、また占領軍すらも自分たちの「恥」を世間に出したくないという身勝手な理由から一時弾圧したそうで、美喜はそうした逆風の中、子供たちを守りながら「この子たちを両親の揃った子供以上に幸せにする」ことを目標にホームを運営します。

やがて、彼女の熱意が人々を動かし、占領軍の中からも協力者が現れ、現在までに2000人以上の卒園者を出しました。
その中には海外に出て実業家として立派に成功した人も出たそうです。

現在は家庭のさまざまな事情から親と一緒に過ごせない2歳〜18歳までの子どもたち100人を預かる社会福祉法人・児童養護施設として活動しています。(ホームページより)
また「聖ステパノ学園」として小中学校を運営しているようです。

ところがよく調べてみると、占領時代にはこの場所を舞台にGHQ(占領軍司令部)内部のさまざまな暗闘が繰り広げられ、あの「下山事件」とも何らかの関わりがあるような記述も出てきて、「陰謀史観」山盛りで興味が尽きないんですが、今回は本筋じゃあないので、割愛。

これと併設する形で「沢田美喜記念館」が設けられています。
こちらは、ヨーロッパ生活が長く、自身も熱心なクリスチャンであった美喜のコレクションが展示されているそうです。
その内容は「隠れキリシタン」に関するものだそうで、うーん、これもそそる。

そそるが、今回は別件だ!と泣く泣く後にします。



というわけで、歴史がてんこ盛りの街・大磯で、わき目も振らずほぼ半日、海だけをボー――っと見て、駅前のコンビニで買ったカレーパンかじって家路につきました。


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【おまけ】

歴史には目を向けない、と決めた「旅」でしたが、これはさすがに素通りというわけには。
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ン何、・・・「同志社」・・・なんだこれは?

何と!

同志社大学(同志社英学校)創立者、新島襄(1843-1890)先生の終焉の地だってぇ?

新島は上州安中藩士の子として、同藩の江戸藩邸で生まれ、長じて築地の幕府軍艦操練所に入り、そこにあった書物を通じて「アメリカ」という国を知り、同時にキリスト教(プロテスタント)に目覚める。
止みがたいアメリカへの憧れを抱いて密航を企てた新島は、まず函館に渡り、そこからアメリカ行きの船に乗る。
当然「鎖国」中のこと、ジョン万次郎のような偶然のケースを除けば、海外留学は「犯罪」であり、発覚すれば即投獄、死罪もありうる命がけの行為だった。
(そういえば、昔函館で「新島襄密航の銅像」みたいなのを見たことあったような)

ともかくもボストンに到着した新島は、アーマスト大学でウィリアム・クラーク博士(「青年よ、大志を抱け!」のヒト)らの薫陶を受け理学士の学位(日本人初)を得、同時に神学校で宣教師の資格も得ることができた。

そして当時欧米視察中であった「岩倉使節団」に出会い、その英語力を買われて通訳として合流、ヨーロッパに渡り、欧州各国を歴訪。各地の教育制度について詳細な研究報告を残している。

明治7年(1874年)、帰国すると、「故郷」である上州安中を皮切りに次々とキリスト教神学校を設立。

翌8年には京都の地に「同志社英学校」を設立した。
最初期の入学者には、明治・大正・昭和初期を通じた大ジャーナリストであった徳富蘇峰(1863-1957)らがいた。

こうしてキリスト教教育を軸とした高等教育機関の設立を着々と進めていった新島は旧会津藩士・山本覚馬の妹「やえ」と結婚。
(このあたりは先年、「大河ドラマ」で描かれていたようですね。見てなかったけど)

東奔西走の日々の中、健康を害し、大磯の旅館「百足屋」の一室で、徳富蘇峰らの見守る中、息を引き取る。
享年46

若い、若いなぁ。

想像だけど、新島襄という人は、例えば福沢諭吉や大隈重信に比べて、あまりにも愚直な人だったのだと思います。
時の権力者と関係するでもなく、世俗的な実利を追うでもなく、天下国家を語るわけでもない、ただただ愚直に自らの信じる道を行こうとした人なのではないかと思います。

蘇峰のような、歴史を陰で動かすある種の「フィクサー」のような動きをした人物でさえ、新島には終生尊敬と敬愛の念を絶やさず、彼自身の邸宅もすぐ隣の二宮に置かれたのです。

それは、この世には、「誠実」「正直」「愚直」に勝るものはない、という信念の強さだったのではないか、と思います。

ある意味で吉田松陰(1830-1859)の持つそれに近いものだったのかもしれません。


オレなんか、ホント、無駄に生きてるなぁ。

末端の先っぽの、不肖無精の弟子の端くれである、僕としては、気持ちの引き締まる「出会い」でありました。
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「新島先生、また参上いたします」







【おまけのおまけ】
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腹が減ったので、たまにはガッツリしたのを作って食おう!

ということで、連休スペシャル「スーパートルコライス」というのを作ってみました。

普通「トルコライス」というのは、とんかつ、ナポリタン、ピラフの3種類(だからトリコロール(3色))で、「トリコライス」→「トルコライス」となった、という有力な説があります。

が、敢えてその上を行き、それ + ハンバーグ + 目玉焼き、という、腹ペコ学生が泣いて喜ぶ「ぜんぶ乗せ」メニューです。

といっても、とんかつはコロモの付いたのを買ってきて揚げただけだし、ナポリタンもパスタをゆでてレトルトのソースに絡めただけ。ピラフなんか冷凍のやつをフライパンで戻しただけ、という、超・手抜きですが、ええい、構うこたぁねぇや、野郎ども、やっちまえ!

ってな具合で、ただ、ハンバーグだけはひき肉から玉ねぎまで「手ごね」にこだわりました。
目玉焼きは、余った玉ねぎのリングで型取りして、まあまあいい感じに焼けた。

ま、オトコの料理だ文句あるか!


美味かったよ、それなりに。
でもハンバーグ、玉ねぎ多すぎたかな。













# by simplex-YN | 2019-05-21 01:51
2019年 05月 01日

【 長時間お疲れさまでした 】

ご来場の皆様、ありがとうございました。

今回は、MCほぼ無し、カバー曲無し、曲紹介もなし、オリジナル曲ノンストップ一気歌いっぱなし、というかなりの「黒帯・有段者向け」ライブになってしまいました。


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本当は、37曲用意してきたんですが、会場の時間の都合で3曲は断念せざるを得ませんでした。
(それでもおよそ3時間かかりました)
でもまあ、とりあえず30曲以上歌うという「公約」は果たせたんで、ホッとしています。

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正直、やってみるまで自分が歌い切れるか全くわかりませんでした。
まあ、人間、頑張りゃ何とかなるもんですね。(キビしい場面もあったけど)

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昨日で一つの時代に感謝をこめて別れを告げ、今日から「新しい時代」の幕が開きました。


これからの時代が、あるいはその先が、どうなっていくのか、それはまだ誰にもわかりません。
ただ、どのような世の中になろうとも、人の唇に歌があり、街に音楽が流れる時代は良い時代であろう、と思います。

「そうなる」のではなく、「そうしていく」という決意を込めて、「令和」の始まりに贈る言葉に代えさせて頂きます。



令和元年 5月 1日      中西保志


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「令和」最後の日にまたやるかも・・・???




# by simplex-YN | 2019-05-01 20:54
2019年 04月 26日

【 無事、予約満了いたしました! 】

㊱ テレサ 様 2名

ご予約ありがとうございます!
これにて満了!!

お約束通り、「最後の1席」の方には、「平成残り福 ドリンク一杯無料チケット」を贈呈いたします。
どうぞ受付にてお受け取りください。


# by simplex-YN | 2019-04-26 14:24
2019年 04月 24日

【 キャンセル発生! 】

只今、キャンセルが1席分、発生しました!

泣いても笑っても、「平成最後の1席」です。

すでにご予約の方、お席はまとめてセットができますので、ぜひご友人等お誘いあわせ下さいませ!

なお、恒例の「残り福」として、「ドリンク1杯無料券」をお付けいたします!

早い者勝ちです!!

070ー1469ー9381


「ユー、予約しちゃいなよ!」








# by simplex-YN | 2019-04-24 21:03
2019年 04月 19日

【本日のご予約確定の方 その6】

本日のご予約確定の方をお知らせいたします。

㉟ プリン 様  1名

以上です。ご予約ありがとうございます。


ご入金の期限は4月23日(火)終日となっております。
期限を過ぎますと、自動的に「キャンセル」となりますので、ご注意ください。






# by simplex-YN | 2019-04-19 21:22